2004年1月13日に行われたえひめ北欧から学ぶ会例会の報告です。
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今回のテーマは香川県国立療養所大島青松園を見学して…でした。
この見学に参加したメンバーは愛媛大学の鈴木先生、愛媛新聞の花本さん、松前病院の盛次先生、元愛媛大学生池田さんそして私、坂本の5名でした。
仕事で当日は参加できなかったり遅れたりする方もいましたが、各々が見学して感じたこと、お話を伺ったことを報告する形式で行いました。
まず最初に大島の沿革を簡単に説明しておきます。
明治40年3月19日
法律第11号「ライ予防法ニ関スル件」が制定。
同年7月22日
「内務省令第20号・同施行規則」が発令。
これにより、全国を5区域に分けて、それぞれに療養所を設立することになりました。
第4区においては、岡山県・広島県・山口県・島根県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県以上8県連合で第4区療養所として設置。
本園の創設に際して
明治40年9月26日に設立申請を行い
明治41年1月27日に認可・決定。
そして「第4区療養所」として明治42年4月1日に発足。
所在地・香川県知事の管理になりました。
患者定床は200床で、21名の職員定数が配置。
明治43年 「大島療養所」と改称。
その後、入所者の増加に伴って増床が逐次行われ、最大時には860床となりました。
昭和16年7月1日
所轄を厚生省に移管して「国立らい療養所大島青松園」と改称。
昭和21年11月2日
『国立療養所大島青松園』と改称。
昭和22年4月
入所者に患者慰安金が支給されました。
(昭和46年『患者給与金』に変更し国民年金拠出制障害年金一級相当額の支給に改正)
昭和24年
スルフォン剤によるハンセン病の治療が予算化され、全入所者に対する治療が開始され治療による軽快退所が始まりました。
昭和28年8月
『法律第214号 らい予防法』が公布。
昭和29年4月 患者家族への家族援護が開始。
昭和36年
不自由者の介護要員が患者から職員へ切り替え。
昭和48年から
園内の患者作業が職員による作業に返還。
平成8年4月1日『らい予防法』廃止。
新患者の治療は一般医療機関において健康保険適応疾患として取り扱われるように。
さらに、『らい予防法廃止に関する法律』が施行。
入所者は『患者』から『入所者』に改称され、入所者に対する療養の保証や
『退所』『再入所』に関する規定が定められました。現在約150名の入所者がここで生活しています。
発表は、パワーポイントで写真を見ていただきながら行いました。
大島は、高松港の東方約8q、四国本土との最短距離約1qの瀬戸内海に浮ぶ面積61haの小島です。
島の西海岸からは伝説桃太郎の鬼が島(女木島)南には源平の古戦場屋島檀の浦、東には二十四の瞳の小豆島が望まれます。島はまた、白砂青松につつまれ、西海岸には源平の勇者を葬ったと伝えられる老松「墓標の松」に覆われ、天然の美とともに源平の昔を偲ばせる静かなたたずまいをみせていました。
園内は、まるでひとつの島にある村落のようでした。入居者は、介護の必要な人と不要な人とで住む場所が分けられています。
介護不要な人は、まるで昭和40年代に建てられた借家のような一軒家(生活者棟)に入居しています。
それは一般者(単身者)と夫婦のある人とで場所が分かれています。
また医療まではいかなくても、体に生涯のある人(介護が必要な人)は、不自由者棟に入居しています。
そこはまるで、老健のようなつくりで、簡易キッチンつきのワンルームを一人一人に与えられていました。
(他の療養所と比べて、大島は少し狭いそうです。他の療養所は2ルームが多いみたいです。)
看護師の健康管理や介護員の生活介助を受けて日常を送っていました。
入居している方の中には先に述べた生活棟で元気な時は生活していますが、体に不調が出てきたらセンターに入居。健康管理や病気治療のために、外来治療棟・リハビリテーション棟・病棟があり、通院・入院による治療を受けられます。
園内の設備はあたかも村落のようで、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設等がありました。
この宗教施設の数には驚きました。おそらく、名高い宗教がほとんど全て在る、というような感じでした。
入居者の方の話では、死後のことにとてもこだわりを持っている方が多く、無宗教だと誰が葬式をするのか、という問題からも多くの人が何か宗教に属しているようです。
また、給食センター・電気・水道・洗濯・環境整備等に関する施設と職員配置により、入所者の生活サービスがはかられていました。
このような種々の環境の中で、入所者自治会を核として機関誌(青松・灯台)の発行、クラブ活動(カメラ・川柳・俳句・短歌・詩歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸等)が続けられています。
これらの活動は、園内のみに留まらず、地元地域や他の組織団体との交流に拡大されてきているそうです。
私たちは、数人の入所者の方に面会し、お話を聞くことができました。
もちろん、夜は宴会です。
まるで普通に、島に住んでいる親戚の祖父母を訪ねたような雰囲気がある中、それでも私は何か違和感を感じていました。
一番、私が違和感を感じたのは、彼らが一様に自分の容姿のことを「醜いだろう?」とおっしゃられることです。
日頃、障害をもたれた方と頻繁に接触する機会が少ない私から見ても、彼らの外見は決して「醜い」ものではありません。
しかし、彼らはそれをまるで思い込むのか、自分に言い聞かせるのか、「醜い」と連発する。何ともいえないものを感じたことを覚えています。
私個人の感想となりますが、私はこの「ハンセン病」に関してはまったくの白紙状態でした。
学校できちんと習った記憶もないですし、もちろん存在を知らないのだから差別意識というものを持ったことがありません。
なので、それがどのようなものだったのか想像がつかないというのが正直な気持ちです。
たとえば、部落差別であれば、子供のころから同和教育が活発で少なからずとも地域に生活をしていたら、それに近い差別を見たことがありました。
だから、なんとなく想像がつくのですが、ハンセン病については、まったくの白紙だったのです。
数年前の小泉政権樹立のときに裁判判決後、控訴しないと発表したことで
マスコミを騒がせたことがありましたね。そのときに、初めてこのことを認識したように思います。
今回、大島青松園を訪問して何か少しだけ分かったような気がします。
でもまだ「ほんの少し」です。いや、分かったというにはまだまだ足りなくて、何か少しを「感じる」ことができたに過ぎません。
皆さん、ぜひ療養所に行ってみてください。
彼らと会って話をしてみてください。
彼らとお酒を飲んでみてください。
何かを感じます。
何かを感じないと、何も分かりません。
そうしないと何も変わりません。
私はまだそれが何なのか理解できてはいないですが、もっともっと、足しげくあそこに通いたいと思います。
最後に、例会当日は数名の方から質問がありましたのでご紹介します。
●世界では家族とも断絶するような差別はあったのだろうか?
●つい10年位まで、なぜ公に「おかしい」という声が上がらなかったのか。患者のみが「おかしい」と言っていた。
●部落差別地と違って身近にないから実感がない。どうしてこんなにも遠い存在なのだろう。
例会日から報告が遅れてしまいましたが、訪問に行かれたほかの方からのご感想やご意見もお待ちしています。率直なご意見をお聞かせください。
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ここからは連絡事項です。
第二回国立療養所大島青松園訪問ツアーを計画中です。
日程は、2月28・29日の土日です。土曜日は午後から出発します。
参加をご希望の方は、ここまでメールをください。よろしくお願いします。
文責 坂本 有希