今回は、丹下先生の「経済から見たスウェーデン」ーパート2−です。私たちは優れた福祉を実施する北欧の経済について学びたいと思っていました。どうしてそういうことが可能なのか、それを引き続き明らかにしたいと思っています。
 

1.スウェーデン高福祉社会の歴史的前提

(ア)  「中立」「民主化」という伝統の形成--資本主義成立期、帝国主義時代の特徴

1.対外的「中立」政策の端緒(←特に戦後)

l         中立政策の端緒は1818年に創始されたベルナドッテ王朝カール14世ヨハン。欧州におけるバルト帝国復興の放棄。1814年対ノルウェー戦役以降、180年以上の対外戦争なし。

l         世界的に富国と近代戦争の時代であった19C末〜20Cにスウェーデンは早々と紛争への介入・対外侵略による国富拡大を放棄。侵略ではなく防衛への軍事の特化。国内経済を豊かにする中での国富の充実を図った。

2.国内経済振興と「民主化」の同時進行

l         国内経済の振興による国富蓄積、生活向上という指導理念の定着。国民的要求からの政治への規制。内政レベルでの不満・反抗を対外政策面での戦争政略によって規制する方策が取れない。激しい階級対立、暴力的解決ではなく合意と妥協による対立の回避(民主化を進める上での重要点)という政治システム。端緒は国民議会に対する王権の妥協としての「1809年統治法」。

3.貧しい農業国からの資本主義のテイクオフ

l         経済的離陸は日本と同じ時期(19C後半)。19C後半の人口流出(1850年から80年間に人口300万人のうち100万人がアメリカへ)→要因としての貧困

(イ)  戦間期における社会政策の形成

1.産業革命と社会民主労働党(党首:ブランティング)の形成(1819年)

     共産より社民主義政党。企業の活発な活動を認めている。

l         産業革命期の階級的矛盾がそのまま階級政党の成立へと連動しなかったスウェーデン的特質。社会民主労働党とは、「企業の活発な経済活動を阻害することなく、経済全体の成長発展を確保し、併せて国民一般の生活の質の向上に向けて、公平・更生・平等・機会均等などの普遍的価値を追求する」という「理想」を掲げた、それに向けたコンセンサスな形成や斬新的手法を重視する「国民政党」。穏健な強調主義、議会主義などが特徴。

     合意・コンセンサス→妥協という手法をとって現実的に少しずつ前進

l         以上のような社民政党を軸とする社民政治を支える諸勢力の形成。1898年「スウェーデン労働組合連合(LO)」1902年「スウェーデン経営者連盟(SAF)」

2.ペール・アルビン・ハンソン「国民の家」構想(1928年)と社民党内閣(193246年)

l         「よき家では、平等、心遣い、協力、助け合いがいきわたっている。そしてより公平な社会は、現在、市民を、特権が与えられたものと軽んじられた者に、優位に立つ者と従属的な者に、負けているすべての社会的、経済的バリアの破壊によって、到達することになろう。しかし、それは、革命などの暴力によって実現するものではない。……労働者のみの『家』ではなく、すべての市民が平等で助けある『家』が理想的である。」

l         以上の構想は、国民の生活水準が依然として貧しく、まずは経済発展の成果が個人的消費財に対する欲求充足に向かうという時代的状況ではまさに「理想」であった。また第二次大戦への軍事的緊張の中で、防衛的な意味での軍事力増強が中心課題でもあった。

3.福祉の枠組みの形成→社民党内閣

l         福祉の枠組みとは、経済成長の達成を前提として、第一に都市化と工業化で生じる労働争議に対する労使関係の調整と良好な労働環境の整備の法的枠組み、第二に医療・年金・弱者保護の制度的枠組みから構成

l         当時の経済発展、所得水準および国際関係の緊張の中で、公的支出の急速拡大は望めなかったが、貧しい中でも斬新的に制度的枠組みが形成された。

@       ハンソン内閣エルンスト・ウィグフォシュ蔵相の経済政策★★重要な役割

経済危機への対応として「ケインズ型経済政策」の先取り。雇用拡大を目的とした国債の発行による公共事業の拡大を実施。また、通貨クローネの過小価値を放置し、輸出促進輸入抑制に成功。これによって国内生産回復。大恐慌時代における経済政策の成功が成し遂げられたのは、スウェーデンの特殊性。よって社民党政権への国民的支持の獲得へ。

A       LOSAFによる労使「基本条約」の成立(1938年)

労使関係の国家介入を回避するという共通の願望の上で、総合的な団体交渉主義を確認し、労使紛争処理のルールについて合意した。中央組織における自主的で平和的な賃金交渉、労働市場にかかわる諸問題の強調的コンセンサス形成をベースとするもの。

B       ハンソン内閣グスタフ・メラー社会相の福祉政策

住宅政策を重視(当時は劣悪)しつつ、教育、雇用についても政策展開。衛生的で快適な住宅にすべての国民が住めることが生産性向上の前提、国の存立の基礎という考え。

2.高福祉社会の発展と変動

(ア)  戦後スウェーデンの出発と発展

1.中立政策と戦後的状況

l         高配した戦場欧州とは対象的にハンソン内閣指導かで政治的・経済的に安定していたスウェーデンは、生産設備が無傷であったので、世界各国から復興のための工業製品の受注殺到。スウェーデンが行った復興援助そのものが自国の生産物需要に跳ね返る。これが後の経済基礎を築くことに。

2.ターゲ・エランデル内閣の成立(1946年)

l         平均3.3%の50年代から同4.6%の「黄金の60年代へ」(相当強い成長力)。60年に1人あたりGDPOECD加盟25か国中第三位。この経済力そのものが「高福祉高負担」への出発条件。

3.増税路線の定着と国民的支持

l         なぜ、増税路線が選択され、国民の反対がなかったのか?

戦間期において国民は、所得上昇の成果を貧困脱却に向け、もう少しましな衣食住に、すなわち市場を通じる私的な財およびサービスに向けたいという志向。戦後10年の順調な経済発展によって先進国内でも有数の高所得を享受した段階では、生活の質の実質的な向上を目指すとすると、安全や安心、良好な生活環境などの集合的な消費財(公共財)への要求が発生。「高福祉高負担」政策はこのような国民選択の変化への政治的対応。

4.スウェーデンの伝統性、国民性→高福祉高負担の基礎枠組みができる

@       ドライな農村社会の形成

エンクロージャー・ムーブメントにともなう大規模のうちをベースとする農業社会の形成の中で、相互に密接な交流・助け合いといった日本の社会システムとは異なる社会形態を形成。独立独歩・自由な自立へ。

A       都会化の過程における独立志向の継続

高校卒業後、子どもは親から独立。親の扶養からの開放。したがって、老後における子による扶養も一般には存在しない。しかし親密な交流は継続(自立を前提とした交流)。→国家の雇用する専門家集団によるサービス提供が受容される素地。

B       独立志向と共同体への帰属

独立志向が強いが故に、市民の強い共同体帰属意識が形成されるという関係。つまり独立志向が強いからこそ、地域社会の管理については個人ではできないから、共同体への期待があり、それを担う政府に対しては透明性や公開性・民意の効果的くみあげが強く求められる。またそれに伴うコストは当然という発想があり、そのための行政改革とは行政の縮小ではなく、無駄な事業から有用な事業の転換であり、それに対するチェックが住民の重要課題として自覚される。

(イ)  高度成長の終焉と幸福思考負担

1.経済不振の振興と保守中道政権

@       パルメ内閣(社民党)の性格

福祉制度の成熟化に伴う公共支出の自然増、福祉水準の質的・量的改善に伴う政策的負担増という状況で、エランデル路線を継承。対話強調によるコンセンサス形成という政治手法への対立という手法の導入。→1976年選挙で44年ぶりに社民党敗北、政権喪失。

A       保守中道政権の成立と経済の悪化

中央党トルビョルン・フェルディンを首班とする三党連立の保守中道内閣の成立。福祉成熟化による支出増、斜陽産業支援のための支出増、GDP成長の停滞の中で、増税路線は継続。しかし財政赤字が進行し、失業率も悪化。インフレになる。結局回復実現ができず、社民党政権が復活する結果に。

2.経済停滞の理由は?高福祉高負担政策が原因か?

l         スウェーデン経済は人口約800万人の小規模経済。しかも海外依存度が非常に高い経済構造。GDP煮染める輸出の割合は40%超。したがって石油ショックなどの外的要因からの影響は多大。そのような主要リーディングインダストリ(造船、鉄鋼、通信、電気製品)において新興工業国のキャッチアップがあり、国際競争力が低下すれば経済不振が深刻化・長期化するのは当然であり、高福祉高負担のためではない。

3.パルメ復活内閣(1982)と経済回復

l         経済回復の鍵はサッチャー・レーガン・中曽根期に代表される清k点派的なg点税と民間活力の導入ではなく、国際競争力が回復すればクリアできる。

@       クローネの相場低下

76年と77年で合計17%のクローネ安、さらに81年に10%、82年の意図的なクローネやす政策で16%。

A       産業構造の転換

小規模経済であるが故に残業構造の転換が比較的簡単に進行。労働集約的な産業から高付加価値、高生産性、技術集約的な産業への以降が進行。1980年代にはロボット、自動制御装置、自動車、医療用機器、環境制御機器、バイオ関連製品、医薬品、コンピュータ・ソフト分野の急進。さらに電気通信機器、紙パルプ、ベアリングなどの伝統分野も新しい技術展開。スウェーデン経済の柔軟な体質が、高福祉高負担の進行とそれに伴う労働市場の硬直性や企業活動の高コスト体質にもかかわらず、国際競争力の回復をもたらす重要な要因であった。

B       その他

物価凍結政策の積み上げ抑制効果、投資刺激効果、雇用拡大効果。以上を通じての残業構造転換促進効果。さらには80年代後半に世界的に見られたバブル現象と好景気がスウェーデン経済に好影響。

3.スウェーデン社会の現状と課題

(ア)  高福祉高負担政策の成熟

1.経済不振期、保守中道政権下での高福祉高負担

政府支出(中心は福祉支出)の増大とGDPの成長停滞→一般政府支出の対GDP比は増加(82年に66%でピーク)。国民負担の対GDP比は政府の増税措置の続行にもかかわらず、経済停滞による税収の伸び悩みから50%水準にとどまる。結果として一般政府財政支出は悪化、82年には「破壊的」財政状況。

2.経済回復期、社民党政権下での高福祉高負担

増税措置はないまま税収は好調を持続。国民負担の対GDP比は、1989年に一つのピークで56.3%に。一般政府支出の増税は鈍化、好調なGDP成長の中で一般支出対GDPは減少に転じて財政支出も改善、87年には黒字転換。

3.高福祉高負担の成熟化

1980年代末の国民負担が限界に近い水準。GDP旧推計基準で国民負担対GDP比が50%台半ばという水準は、対国民所得で70%を大きく超える水準でこれ以上の負担は不可能。具体的には新たな財政需要に応じたり、特定歳出分野で財政負担増となるような改革を行えば、そのほかの歳出分野で一定の削減を行い、全体としては国民負担の増加に結びつかない措置が必要になる段階への以降。

(イ)  バブル崩壊後の経済危機

1.資産インフレ状況の発生

l         8591年でストックホルム不動産価格指数は年率20%上昇。金融機関に対する規制緩和の実施によって貸し出し競争が激化。その他の要因も含めて銀行などの信用残高は、85~90年の5年間にGDP85%から135%に増加。

2.バブルの崩壊後の経済的危機

l         世界的なバブル崩壊。賃金コストの上昇→国際競争力へのマイナス影響→輸出停滞と経常支出の悪化→経済成長率低下の加速、という現象。

l         90年代前半の経済的危機は、規模、深刻さ、激烈さにおいて1930年代初期の大不況以来のもので、70年代の経済危機に比べてもはるかに厳しい状況。パルメ暗殺(1986年)後、社民党はイングヴァル・カールソン内閣が成立するが、経済状況の流動化を反映した政治の流動化、保守化の中で1991年カール・ビルト穏健党内閣が成立。バブル崩壊後の経済危機に対して、クローネの弱体を担った為替政策、金融システムに対する大胆な対応(不良債権処理)、財政状況改善努力が行われる。対応そのものの迅速で果敢な実施にもかかわらず結果がでないという問題点。「選択の自由」=新自由主義路線の説得力の喪失、福祉後退政策に対する批判の増大。

3.1994年カールソン復活内閣と経済危機からの回復

@       1993年をそことした経済危機からの回復

199198年にかけての知識集約産業の生産量は年率7%増。資本集約産業、労働集約産業の平均の伸びは1.4%93年に失業率は近年の最悪の8.2%であったがm01年には4.0%まで改善。知識集約産業における雇用増。

→公共部門からの教育、福祉、環境、職業訓練などへ向けての多額でかつ効率に訓練された労働力を背景として高度の知識産業構造への円滑な移行を可能にしている、という分析。

A       その他の政策対応

経済不振からの脱却、失業対策、財政再建およびEU加盟実現という相互に関連する課題への対応

4.カールソンの引退とヨーラン・パーション内閣の成立

@       雇用政策の重視

その特徴は、失業者の生活保障に過度に偏った消極性を脱して、積極的に労働需給調整、求職者の能力開発を進め、経済発展に不可欠な産業構造や雇用構造の高度化推進のための施策ということ。

A       1998年選挙の評価

社民党内閣の財政再建政策への不満による議席数の後退。投票率は普通平等選挙が始まった1921年以来の低水準になる。かわって左翼党の支持が社民党の緊縮財政に不満を持つ層を吸収して拡大。それらとの閣外協力によって社民単独政権を継続。

→国民は、「たとえ高負担でも高福祉の継続」を選択。財政措置による「社会的公正」の方向に移行。

政治の場において国民がどう選ぶかがクリアに出てくる。どういう国家を作ってほしいかを国民がはっきり明確に持っているし、政治家も同レベル。

4.結び

(ア)  高福祉高負担政策に対しては、次のような批判がある。

1.高福祉高負担は経済の対外競争力を構造的に食いつぶしているのか?

2.高負担による製造業におけるコストの増大を通じて工場の海外移転=産業の空洞化が生じ、経済成長の低下、失業率の行為固定が生じているか?

→高負担しならが、スウェーデンの企業は経済競争し、成長を確保している。

3.労働者側において、手厚い労働者保護政策や福祉政策の下で、労働インセンティブの低下=生産性の低下が見られるか?

→ないとは言えないが、きちっとした保障あるから転職・訓練ができる。

4.高負担を嫌った富裕層および若年層の海外流出が生じているか?

→的外れでは…

※社民党の結党以来の理念に基づいて選択された幸福志向負担の路線は、経済成長の成果を国民の生活の質の向上に結びつける夕食の選択肢。(狭い意味でなく、QOL含めた広義の福祉の向上のために高負担を選択)適切な政策運営さえ確保されれば経済発展の阻害要因にはならないという経験的事実。

では、スウェーデンの福祉国家の理論が日本の運動にどう示唆するのか?スウェーデンはすごいで終わってしまうのか?実際に、いろいろな形の福祉国家がある。日本の福祉国家作りは官僚主導。対外的な福祉政策を輸入してくるのであって、独自の理念ではない、つぎはぎ的。←ハイブリッド的理念。社会運動で普遍化できる作業が必要では?

文責 坂本 有希

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