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ジンバブエ共和国の事情

スタッフ
2007年6月19日。私は青年海外協力隊員としてアフリカのジンバブエ共和国の地を踏みました。

     

ジンバブエ共和国(以下ジンバブエ)は、1981年に独立し、以後医療、教育分野に力を入れ、加えて1年を通して過ごしやすい気候、肥沃な大地、温厚で勤勉な国民性という要素がうまく回転し、90年代には「アフリカの希望の星」とまで言われるくらい順調な成長を遂げていました。しかし、経済を中心とする失政が元で2000年頃より経済状況が悪化の一途を辿りました。この失政については詳しく説明しますとそれだけで多くの紙面を割いてしまいますので、興味のある方は調べてみてください。

      国旗    国章

 そういうわけで、私が赴任しました2007年というのはハイパーインフレーション真っ只中でした。赴任した時のジンバブエドル(以下Zドル)のレートは、は「1USドル=13万5千Zドル」でした。しかし、そのレートもほぼ毎日と言っていいほど右肩上がりに上がり、物価は上昇、労働者の給料は物価上昇に追いつかず、私が赴任した聾学校の同僚教員の1か月分の給料はパン3斤買うと無くなってしまうという現状でした。
まぁ、市場にパンが出回っていればの話ですが。と言いますのは、経済が混乱すると物流にも影響を与えるのです。市場には物資が消え、生活必需品の確保も大変な状況です。私は2年間の予定でジンバブエに派遣されたのですが、このようなジンバブエの情勢悪化が原因で結局9ヶ月弱で同じアフリカのウガンダ共和国に転任となりました。
前置きが長くなりましたが、何が言いたかったのかといいますと、この9ヶ月の滞在中に砂糖を市場で見つけることはできませんでしたということです。その他生活必需品も時々出回るくらいで、見つけたときは即買いしないといけませんでした。

 ハイパーインフレーションではおもしろい現象が起きます。私の赴任先のグエルという町の中心市街には大小合わせて5つほどのスーパーや商店がありました。ある日私はシャンプーを買いに行こうとあるスーパーに入りました。そこには目的のシャンプーが45万Zドルで売られていました。ここでは値段チェックにとどめ、他のスーパーに行くと同じシャンプーが150万Zドルで売られていました。こりゃたまらん、と別の商店に行くと同じく150万Zドルで売られていました。そこで急いで最初のスーパーに戻ると45万Zドルで売られていた物が160万Zドルという値段になっていました。こりゃまたまたたまらんということで150万Zドルで売っていたスーパーに行くとまだ150万Zドルで売られていましたのですぐにそのシャンプーを購入しました。ハイパーインフレーションを物語る一つの実話ですが、物価は日々という時間間隔が悠長に思えるくらいの感覚で上昇するのです。

 日々物価が上がるハイパーインフレーションでジンバブエの通貨価値は無いに等しくなりました。

     
                    お札がメモ用紙に・・・(´・_・`)

しかし、生活のためには市場に出回ってるジンバブエ人にとっては途方もなく高い物資を購入しなければなりません。ここで現地の人達はどのようにお金を調達し、生活しているのか、という疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。答えは外貨です。
ジンバブエでいう外貨はお隣の国南アフリカの通貨ランド、ボツワナのプラ、ザンビアのクワチャといったものが身近です。それらの国はジンバブエと比べて状態が安定しているので通貨価値も安定しており、それら外貨を大きな声では言えませんが 闇両替 し、資金調達している人も多かったです。では、その外貨はどうやって獲得するのか、ということですが、これは単純に出稼ぎです。家族、親族の誰かが南アフリカやボツワナ、ザンビア等の隣国に出稼ぎに行き、外貨を獲得するのです。しかし、その方法も全ての人が行えるわけではないので、わずかな土地に作物を植えて自給率を上げながら生活している人もいました。

 そんなこんなで混乱を極めていたジンバブエですが、私が赴任した頃の最高通貨「10万Zドル」、そして、レートは「1USドル=135000Zドル」でした。しかし、出国する9ヶ月後には最高通貨「500万Zドル」、レートは「1USドル=20000000万Zドル」となっていました。うわ!っと思った方、まだまだ甘いですよ。その後もハイパーインフレは続き、最終的には100兆Zドル札が発行されたのです。数字をそのまま記しますと「100000000000000Zドル」です。それまでも何回か通貨の桁を切り下げるデノミネーションを行ってきて帳尻を合わせてきたジンバブエ政府ですが、ここまでくると自国の通貨を諦めたようです。

     
                    ジンバブエドル・・・(;´д`)

現在は主にアメリカドルや南アフリカのランドを国内で流通させて貨幣の安定はとりあえずは保っているようです。私が2011年に再訪した時にはそのような状態でスーパーや商店には物資が戻り、表面上は安定しているようでした。しかし、今でも連絡を取り合っているジンバブエ人の同僚や友人は「物価が高い」と言っておりますので、苦しい生活は続いているようです。


福沢諭吉さんは0(ゼロ)4コ !!!!


 この状況は貨幣経済にあまり関係ない農村部の方々にとっては事情が違ってきますが、そこは今回は割愛させていただきます。

 以上、私が愛してやまないジンバブエの事情をお伝えしました。しかし、まだまだお伝えしきれていないもどかしさがあります。それに、お伝えできないこともあります。混沌とした状況の中ではきれいごとでは生きていけない側面があり、そこはあえてお伝えしません。

ただ一つ確実に言えることは、ジンバブエは資源が豊富、気候が良く、土地が肥沃、国民性は勤勉で温厚です。国の舵取りがうまくいけばすごく良い国になる可能性を秘めていると確信しています。

この機会に日本ではあまり報道されることのないジンバブエの事情のほんの一端でもお伝えさせていただくことができて感謝しております。
また、これを読まれた方が少しでもアフリカ大陸南部に位置するジンバブエ共和国について思いを巡らしていただくことを期待しております。
(40代 ST)



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