イエテボリ(スウェーデン)での最近の高齢者福祉
‐新居浜在宅ケアを考える会での講演会(01/11/18)から‐右の写真は翌日松山市で行われた講演会。
講師紹介
ヨーラン・モーバリ(オッヘンメット財団理事長)
高等学校卒業後、鉄工所、賃貸住宅協会に勤務。イェーブレ市の社会民主党青年部のオンブズマンを務める。現在はイエテボリ市に移り、約16万戸の住宅の賃貸契約を主として扱う契約部長。政治活動経験は約30年でイェーブレ市では市会議員、市首脳部、イェーブレ県美術館館長などを歴任した。
モニカ・パリルンド・ファゲルステン
1970年代半ばから準看護婦になる。以後、正看護婦教育を受けた後に老人病学の専門教育、保健医療部門の総務業務の教育も受けた。1990年からオッヘンメット財団に勤務。現在は3つの財団の業務運営部長。
通訳 友子ハンソン
講演は最初ヨーランさんからスウェーデンにおける高齢者対策の歴史、一般論が述べられ、次にモニカさんから財団が経営する3つの高齢者施設(特殊住宅)について述べられた。
ヨーランさんの講演
童話に登場する高齢者への対応を見てみると、昔は毛皮に包まれて、動物の角で作ったコップで水を飲ませている姿が見られる。これは身体を温め、十分な水分を摂らせており、良好なケアがなされていたことを示しているが、それ以前にはどのようなケアがなされていたかを知る材料は無い。その後、中世に入って1597年に貧民救済法ができた。これは無料で食事とビールそれに洋服と靴、簡単な医療を提供するものだった。食事は1日に1回で、クリスマス前に1度だけ入浴を提供するというサービスであった。比較的裕福なお年寄りに対しては有料の年金者ホームもあった。食事が1日に2回提供され、入浴も週1回できたし、シーツも洗ってもらえた。しかし、病弱者への医療はケアは不十分だった。1700年代に入ってマニュアルが作られ、医療ケアが始まった。だが、この時点では、高齢者・精神病者・病気の子供などを一緒にケアするものであり、スタッフも少なかった。この頃から住宅の重要性は認識されていたようである。1918年に貧民救済法が改定(?)され、高齢者・精神病者・病気の子供などを一緒にケアすることは良くないとされ、各村に「老人ホーム」を作って、高齢者を救済することになった。1920年にその部屋に付いての基準が出され、一つの「老人ホーム」に15〜45人が生活するようになった。このときの個室の割合は25%だった。裕福な人に対しては1930年代に「年金生活者のための特別住宅」が整備された。「年金生活者たちのホーム」と呼ばれた。そこでは始めて共通スペースが登場し、様々なセラピーや活動に当てられた。現在のデイサービスに近い活動が開始された。やがて、1970年代にデイサービスがたくさん作られるようになる。
第2次世界大戦以降、住居についての話し合いが増えてきた。おもなポイントは安心できる住宅であり、その根幹は緊急通報ができること、すぐに誰かが助けにきてくれることなどだった。1950年代の討論では、市のどこに建物を作るか、高齢者の活動性をどう増やすかなどだった。1950年代から70年代をピークとして急速に高齢者用の住宅が作られた。その特徴を挙げると、1.かつての一般用の「老人ホーム」と裕福な人向けの「年金生活者たちのホーム」の区別がなくなったこと、2.安心・自由活動・生きがいを中心としたサービスハウスが中心となったこと、3.デイセンターが付属したこと、等であり、建物の周辺の人たちにも利用してもらい、出会いの場を設けることも考えられた。
1970年代は在宅での生活を可能とすることが目標に掲げられるようになった。当時、65歳以上の高齢者のうち、88%が在宅で12%が高齢者住宅に住んでいたが、2000年には92%が在宅で8%が高齢者住宅となっている。つまり、それだけ一般住宅が障害のある高齢者にとって住みやすくなるように変わってきたこと、在宅でのサービスが充実してきたと言えよう。また、70年代末から痴呆高齢者に対する関心が高まり、グループホームの重要性が高くなっていった。85年よりグループホームが建設され、現在では20000人が入居している。
1990年代に入り、エーデル改革が実施された。スウェーデンは不況の中にあり、医療費の大部分を占める高齢者医療を削減することが大きな目標となっていた。ナーシングホームが医療から福祉に移された。医療は県の管轄であり、福祉は市町村の管轄である。病院モデルとして出発してきたナーシングホームが福祉モデルに移行した。入院状態から生活状態に変わり、自己負担が発生した。入所者に必要な医療についても県から市町村に移管された。現在個室化するように進めている。最近はナーシングホーム、老人ホーム、グループホームなどをまとめて、高齢者用特別住宅と呼んでいる。
1999年から在宅での支援をさらに強めるように行動している。1990年代初頭は不況で金が無かったが、居間は景気が良いのでチャンスとなっている。在宅で週に55時間以上サービスが提供されていると、高齢者用特別住宅に入居してもらったほうがコストとしては安上がりとなるが、在宅生活の継続を勧めている。在宅での活動性を高める為にボランティアの活用や、自己負担の引き上げも検討されている。
イエテボリ市について
スウェーデンの人口は900万でうち65歳以上の高齢者数が160万人。25万人が福祉サービスを利用している。85歳以上の高齢者が急速に増えている。サービスは90%が公共、10%が民間委託。民間委託のうち、財団への委託が5%、営利企業が5%となっている。予算の70%が高齢者特別住宅用となっている。イエテボリ市は人口46万でうち65歳以上の高齢者数が75000人。このうち16000人が福祉サービスを利用しており、イエテボリには6000床分の高齢者特別住宅がある。スウェーデン全体では125000床分の高齢者特別住宅があり、その94%が個室となっている。都市部に相部屋が残っており、順次改築が進んでいる。例えば4人部屋を3人部屋に変更しているが、個室希望者が多く、さらに改築が必要となっている。
オッヘンメット財団は1726年に設立され、400名の高齢者に対して約400名の従業員で対応している。(コメント:民間委託であるが、財団は独自財源を持っており、措置費で運営される公共のものよりもさらに Grade の高いサービスが受けられる。他の民間委託の場合は営利組織が多く、その場合は公共サービスより人員等で質が低下する場合が多い)
モニカさんの講演
1992年のエーデル改革は1994年にイエテボリでも実施された。かつてのナーシングホームは高齢者に対しての接し方も病院型のもの、つまり患者さんに対して指示するというものであったが大きく変わっていった。
「人間中心で家庭らしい環境であること、患者ではないこと」が介護哲学として主張され、ナーシングホームでも、最期の日々をどう過ごすか?何が大切ですか?どういう風に毎日を過ごしたいか?などを本人に聞き、介護計画を立てることになった。また、職員にとって重要なこととして、そのナーシングホームを自分の職場とは考えずに自宅に訪問していると考えなくてはいけなくなった。例えば部屋に行ったとしても、施設の部屋に行ったとは考えずに常に利用者の自宅を訪問していると考えることが大切と言われるようになった。
施設(コメント:施設という言葉を使用するが、高齢者特別住宅は在宅として扱われている。しかし日本人の感覚では自治体が高齢者対策として建てた住宅なら施設のような印象も受けるし、逆にリッチな町営住宅ならそれは自分の家であり在宅となる)への入所は公務員である査定員が決める。何らかのサービスが必要な高齢者で査定員が面接し、その施設に入る事が必要と認めた人だけが入所することが可能で、施設側がどの部屋に入所させるかということさえ決めることはできない。入所することになれば、財団と入所者本人が賃貸契約を結ぶ。契約者の表札が部屋に掛かり、郵便受けに自分の名前が入り、郵便物もそこに届く。共有スペースを含んだ家賃と、食事料金、介護料金(自己負担分・約1割)が自己負担である。
最近、高齢者向けの住宅については次のように考えられている。痴呆高齢者に対してはグループホームが必要だけれど、それ以外の高齢者に対しては高齢者特別住宅はもはや必要ではない。確かに現在も必要度に応じて新たな高齢者特別住宅が建設されているけれども、既存住宅がかなり改善されつつある現在、痴呆高齢者に対するグループホーム以外はあえて作る必要性は薄れてきている。また、グループホーム自体、あらゆる高齢者でもそこで生活可能であり、それ以外の特別な住宅も建設する必要が無いとも言う。週に55時間を超えるケアを必要とする場合は特別住宅の方がコストとしては安上がりだが、その人の人生や生活を尊重したところではやはり棲み続けた自宅の方が良いという見方が強くなっているようだ。
モニカさんから、特別住宅におけるインテリア、エクステリアなどについて細かな説明を受けた。共有スペースについては楽しい雰囲気を作り出すことを目標にして、全体の色調をどう調整するかなど、インテリアコーディネーター的な話を聞く事ができた。インテリアの配色にしても、リラックスできる色、食欲が出る色、やる気が出てくる色、また、障害に応じて高さが調節できるテーブルや椅子、昔ながらの座りごこちを感じさせる椅子であったり、細かい柄は何となく興奮するからダメとか、食事の時の食器も色彩的にコントラストをつけるなどさすがに経験が豊富であり、とても参考になった。
感覚の庭について話しておく。特に痴呆の人に対しての治療的効果を第一に考えてある。当然5感に対して適切なやわらかい刺激を与えるのが目的である。職員にとっても高齢者と一緒に外に出ると楽しい、ホッとするような庭がいい。たくさんの花、長く咲いている花を選び、すぐにそれが何の花であるか分かるような種類であり、美しいと感じる花、また食べることが出きる果実を結ぶものを選択する。小川があったり、噴水があったり、通路も落ち葉を踏みしめるような通路や土であったり石畳であったり…。ペットもいい、犬が廊下をゆったり歩いたり、鶏を飼っていたり、車椅子の人が花を触れるように高い花壇があったり…。
そして、3つの複合施設(色々な高齢者特別住宅を持つ地域)についての説明があった。どこも私自身が余生を過ごしたいなあと感じるところであった。詳細は実際に現地に行って見た方が良いと思うのでお勧めしたい。
最後に金銭的な話を少し。自治体から財団に支払われる委託費は平均して一人当たり35万Kr(日本円にするとその11.6倍ほど)。自己負担は介護費が月にして約1000Kr、家賃が4500Kr(個室と共有スペース分)、食費が2000Krとなっている。しかし、高齢者によって所得が異なり、低所得者には手当が自治体から支給される為、お小遣いとして手元に1400Kr残るようになっている。そこから、医療費や薬代を支払うようだ。職員の給与は一般的な介護職が平均で15000Kr/月、正看は20000Krほど。職員の90から95%が女性だ。一般的な国民年金は基礎年金として6万Kr/年。奥村芳孝氏によると、基礎年金だけを受給している人は女性で11%、男性で2%。そして、女性の平均年金額は年に9万5千Kr、男性は15万(1998年)。家賃補助がありますので、基礎年金だけの人は家賃はほとんどただとなる。それに介護費用は大抵収入に比例している。
質疑の中で気のついたこと。日本では准看廃止の方向が進んでいるが、かつて、スウェーデンでもそういう時代があったとの事。しかし、正看だけで、正看業務だけを遂行すると日常業務全般が進まなくなったので准看を復活させたんだって。なるほど、さもありなむ。
講演会の後の懇親会などの写真集はここ。