重度重複障害児が普通学級へ!


目次

  1. 渡辺大貴(ひろたか)君が普通学級に入ったぞ !
  2. 経過
  3. 問題点
  4. 松前町町長への手紙
  5. 請願の委員長報告
  6. 今後の課題
  7. ひろたか通信 1999年4月26日
  8. ひろたか通信 No16 2000年1月16日
  9. 愛媛新聞の連載(著作権問題のため休止中)
  10. 学校生活介助員獲得への道(1)-要望書
  11. 学校生活介助員獲得への道(2)-要綱案
  12. 学校生活介助員獲得への道(2)-要綱案の修正

渡辺大貴(ひろたか)君が普通学級に入ったぞ!!大貴君

 双子で生まれた大貴君が姉妹と共に同じ松前小学校の普通学級に入ることが出来ました。重度の重複障害児(脳性麻痺による肢体不自由と知的障害)が普通学級に入ったのはおそらく愛媛県で初めてのこと。険しい道のりが待っているが教師・親・支援者が情報交換を密にして乗りきっていこうと誓い合った。

 写真はにっこり笑った大貴君。他の写真

 

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経過(お母さんの報告より)

 平成10年6月に北村さよさんの「共に学ぶ学校をめざして」の講演会でお話を聞いてから、私もそろそろ動いて行こうかと思った。いろいろなところに声をかけて、9月に講演に参加した人達で意見交換会を持った。会を主催するなんて初めてでとても緊張した。なかなか上手く進まず、いつも皆さんにご迷惑をかける。これも経験、親が頑張らずに子供頑張れとは言えない。頑張れとはもう言いたくない。

 10月7日に松前小学校の校長に話に行く。1週間後に教育長や福祉課にも話に行く。公的介助員についてもお願いした。11月26日の就学時検診は拒否した。就学時検診とは普通学級から障害児を除くためにあるからだ。

 その後何度も校長や教頭、学校教育課長、教育長、助役と交渉を持った。教育委員会や助役は養護学校を勧めた。理由は障害が重すぎるから。現状の学校現場では到底受け容れられないというものであった。その間、「女性の集い」で『障害のあるこの子育てについて』という話もした。

 第3回の交渉の後、松前町の町議会に請願(大貴の普通学級での受け容れと公的介助員の設置の2点)を出すことを決意した。平成11年2月15日から署名を集め出した。知らないところにもお願いに行き、ドキドキした。約10日間で1,117名の署名を添えて提出した。

 第4回交渉(3月6日)では、松前小学校の特殊学級で受け容れという線が出たが、拒否した。

 3月16日に請願に対して一部趣旨採択という結果が出た。

 3月18日には他の障害児を持つお母さんたちが中心になって抗議団を形成して、松前町教育委員会へ行った。教育委員会の姿勢は変わらず、松前小学校の特殊学級以外は就学通知を出さないという。

 3月26日の第5回交渉では、教育委員会から特殊学級で親が介助についてくれと言われた。

 4月3日の第6回交渉では前回の交渉を受けて、では親のサイドで介助すれば普通学級に行けるのか、特殊学級なら親の介助は要らないのかと追求。親がつくから普通学級にいれてくれと申し入れをする。

 4月6日の第7回交渉。町教育委員会から普通学級を前提に話したいとの事。8項目の条件を示される。(一切は親が介助すること、責任は親にある事などです。この8項目についてはまだアップできません。ちょっと松前町にとって恥ずかしいのでby Moritsugu) その条件を呑むことにしたのでその場で就学通知を受け取る。これで大貴は普通学級への入学を認められた。

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問題点

 当然のことですが、いろいろあります。数え上げればきりがありません。整理のしようもありません。

 大事な事は大貴君や親が今のいい表情を持ち続けることが出来るかどうかです。一番しんどくなるのは担任の教師です。それをまわりがどれだけ支える事が出来るかです。既に8項目が現場を縛ってしまうのではないかという危惧が教師から聞こえています。幸いにも松前小学校の教師集団には受け入れてやってみようという先進的(冒険的?)考えがあります。やっぱり恐い(新しい取り組みに対する武者震い?出来れば避けたいという尻ごみ?)という思いもあります。おもしろじゃないか、やってみようよという余裕が今の学校現場にはありませんし。とくに校長は何かの時に詰腹を切らされるという恐怖もあります。

 問題行動=問題教育というのはもう間違いないでしょう。(痴呆対応で実証済み?)

 ねぇ、頑張ってよ、先生。先生が頑張った分、大貴君はゆったりできるんだから。

 障害が重すぎるから普通学級では受け容れられないについて考えてみました。障害の軽重で決めてよいものだろうか?重度になればなるほど社会から障害者を排除しているんではないだろうか?世間一般がそれを是認し頑なに正しいものとしているんじゃないか?

 養護学校が専門教育だから良いという考えは容易に否定できます。だって、養護学校出の障害者が有益な社会参加を果たしている例はほとんどないもの。

 では最重度の障害児にとってはどうか?例えば事故などで植物状態の時。最初は分からなかったのですが、やっぱり普通学級の方が良いと思いました。みなさん!どう思われます?掲示板に書きこんでくださいね。医療行為関連は考えに入れません。なぜなら、一部の養護学校では気管切開口からの吸引も教師がやってますし、その研修も文部省が認めています。(医療行為なのに!)だから訓練で何とかなるところが大きいし、連携体制がとられておれば問題の発生は少ない。むしろ在宅より早く異変に気がつくかもしれない。

 障害のない子供でもクラスに一人ぐらいは不適応を起こして、保健室通学になったり、登校拒否、フリースクールなどの例があります。

 現実的にはあらゆる重度の障害児を受け容れる事を前提にして、体制をあらかじめ構築しておく事は不可能ですし、効率的でも有りません。とりあえず、いったん受けて、体制(物理的にも、技能的にも)を作っていく事になります。不適応が起きたら、現状分析をして問題点を解決し、それでも限界を上回る時にはその時どうするかを考えるべきだと思います。養護学校でそんな問題が起きても、たいがいは本人と家族が泣き寝入りでした。しかし、普通学級なら社会化します。

 だから、どんなに重度の障害児でもいったんは普通学級で受けて、努力を重ねる事が大切だと思います。その営みは必ず他の子供達にもよい影響を与えてくれるものと信じています。

 忘れてはいけないのは健全児への影響です。マイナス面もあるかもしれませんが、入学した時に「どうして車椅子に乗ってるの?」という発言です。いっしょの社会に障害児も生きているという認知の始まりです。とても重要な出合いです。おそらくこのホームページを読まれる方には無かった経験だと思います。障害者を無視しない社会を作るにはどれだけ多くの障害者の味方を作るかにかかっています。もちろんその集団の中でもっとも大きな役割を持つのはリーダーである担任教師です。教師が無視すれば当然お友達も無視します。

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松前町町長への手紙

 渡辺さんから町長へ宛てた手紙です。障害児を持つ親としての気持ちの移り変わりが描かれています。写真は渡辺夫婦。かあちゃんが強いよ。やっぱり女の時代がやってきた。

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請願の委員長報告

 『大貴君を普通学級に』という松前町町議会への請願に対する委員長報告です。

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今後の課題

 大貴君の場合、しつけは家庭でなんて言ってられない。学級経営も大変。でもそれが教師にとって一番の学ぶ場と思います。

 学級のリーダーである担任教師(岡田先生→)のあり様がクラスの子供達のあり様を左右します。

 定期的に他の父母も招いて懇談会を持っていかなくっちゃ。

 下の写真は松前小学校の同和主任である森岡先生。障害者差別が絡むので当然出なきゃならない。しんどいところです。頑張れ!全同教の闘士!あなたの働きが確実に障害児のしんどさを軽くする。

 住民理解を進めるためにも社会教育も動かそうっと。目次に戻る


ひろたか通信  No.15  1999426日(月)

 穏やかな気持ちと、活力を与えてくれる新しい緑の芽吹きひと雨ごとに若葉の柔らかな緑がまぶしい限りです。こんなふうに今過ごせることのありがたさを思いあらためてご支援いただいた方々に心より感謝とお礼を申し上げます。

 学校生活も早いもので、もう2週間がすぎました。「妹さんと同じクラスにしているのですが、どうでしょうか?」との問いかけに、いろんな思いがありましたが、とりあえず了承しました。

 21日には、7歳の誕生日を迎え、クラスの子供たちの前で、2人が双子の兄妹であることを伝えられるチャンスがあり、みんなに歌で祝ってもらいました。

 1415名というけっこうたくさんの近所の子供たちと集団登校していますが、朝の時間は家族の協力なしでは、とうてい730amの集合時刻には間に合わない現実があります。父親の職場が、八幡浜から伊予市へこの春より変わったことは、我が家にとれば、とてもありがたい現実です。3番目の2才半になる子供を800amすぎに保育園へ送ってから、バイクで出勤してくれています。もう一人忘れてならない重要な存在のおばは、子供たちの心のよりどころになっている同居人です。そして、この私の実妹でもありますが、私も随分心身共に助けられつつ、今までこれましたし、又これからも力強い助っ人です。しかし、いつまでもとはいかないだろうと思いますので、その時がきたら、どんなふうな我が家の日常になるのかと…。

 初めの一週間めは、やはり初めてのことが多く、ひろたかも疲れ気味の感じがあり、帰宅してから眠っていましたが、今ではほとんどなくなって、がさがさごそごそと遊んでいます。登下校の車椅子に乗っている時も、授業中もウトウトとよくしますが、これからどんなふうに変わっていってくれるのか楽しみでもあります。

 給食も始まり、楽しみも増えたのではと思っていますが、学校生活の中で一番不便なことは、やはり移動です。遠くの体育館や、2階、3階への移動は特に体力がいるなぁーと。集団で時間内の移動は、ひろたかを荷物的?!に扱い兼ねないのが現実です。

 トイレについては、和式トイレに簡易トイレ(洋式)を置いてあり、それを使っていますが、(少々使いづらいと思っていましたが)洋式トイレに改造することになったと担任より話を聞いています。今朝、トイレに行くと、洋式の便座がピカピカに光っていました。ドアも引き戸です。

 1学年全体と特殊学級担当のT.Tの先生がいて、12組の中にも時々入ってこられます。

 ひろたかのあるがままの姿を知ってもらい、そして認めてほしいという願いは根本にあるものの現実の学校生活は、いろんな場面で私が抑制していることが多く、これでいいのだろうか?と毎日自問自答の繰り返しです。これだからこそみんなといっしょがいい!!と感じる場面がひとつでもあることで少々ふさぎ込みそうな気持ちもぶっとばしています。


あっという間に1年経ちました!


ひろたか通信 No.162000年1月16日
 すっかり、ご無沙汰しております。その後皆様にはお変わりありませか?
長いなぁ・ ・ ・一年!と思いスタートした親付き添い生活。早、もう3学期も始まり、1学年の生活もあと数ヶ月になった今においても、大きな課題は何ひとつクリアできずにいます。
近況をお伝えしたいと思いつつ、情けなく今日まで打ち過ごしておりました。お伝えしたい事がたくさんあって、何から話せばよいのか整理がつきませんが、とりあえず、遅ればせながら、少しずつ学校生活の中の様子をお伝えしたいと思います。

☆ ひろたか自身、入学以来、随分と心身ともに、たくましくなったように思います!これも、先生や子どもたちと日々生活をともにし、ふれ合い、その積み重ねがあってのものと実感しています。
 運動会、校内持久走など、いろんな学校行事にも、元気にひろたかなりの方法で参加し、表情豊かにいろんな気持ちを見せてくれました。競技への参加は、全て担当の先生と一緒で、大玉ころがし、かけっこ、ダンス、玉入れなど、全てに参加しました。
 大玉ころがしは、クラス対抗の競技。ひろたかがいることで負けるとは限らなかったが・・・ 。子どもたち、一生懸命考えてくれました。「ひろくんが、がんばったらいい」「ひろくんが、がんばって負けたらそれでいい」との声。ひろたかなりに、がんばればいいよ!! それで負けたとしてもかまわんよ。という事のようで、あらためてその心のしなやかさに感激です。結果は、大玉が思わぬ方向へ転がってしまったりと、勝敗の鍵を握っているのは、クラスの一人であり、ひろたか??ということではないことに気づかされることになった次第です。
 かけっこは、先生に背負われ、その後、歩行器で完走。ダンスは車椅子で参加。
 できないではなく、どうしたらひろたかも一緒に参加できるかと、クラスの中の大切なこととして子どもたちになげかけ、子どもたちと一緒に考え、ここまでともに歩んでくださった担任に支えられての学校生活があります。

☆ 2学期の終業式の時には、"2学期がんばったこと"ということで、1年2組の数名がクラス代表として発表しました。その中のひとりとして、ひろたか全校生の前で発表。もちろん、「ひろたかくんの代わり先生がいいます」と言ってひろたかのがんばりと、心の言葉があることを伝えて下さいました。
〜〜2学期がんばったよ〜〜 わたなべ ひろたか
 「ぼくは、うんどうかいをがんばりました。あついなかのれんしゅうだったけど、やすまずにがんばりました。みんなといっしょにかけっこやダンスをしたよ。たのしかったよ。」と、ひろたかの気持ちを表現。

☆ 2学期には又、たかひろの心の成長を感じさせてくれる出来事もありました。家庭の中においては時々あることですが、しかし、この朝の泣き方は、学校という場所では、初めてのことではなかったかと思います。今までに感じた事のない様子があり、オイオイ…と大きな声で涙をいっぱいだして、いつまでも泣き止みませんでした。その泣いて訴えるひろたかの様子をみた先生も、「これは、ひろたかくんの言葉じゃのう。」と受けとめ「どうした!!?ひろくん!」と近づいて寄り添ってくださいました。自分の気持ちに気付いてもらい、受けとめてもらった事で、心が癒され、気持ちが落ち着いたひろたかではなかったかと思います。
 こんなふうな先生とのかかわりの中で、信頼の心を育み、そして、その姿を見ながら育っているクラスの子どもたちとともに、ひろたかも成長しているのだと思います。
 今、悠悠自適のひろたかの学校生活は担任の先生をはじめ、その先生のひろたかに対する姿勢を日々見ながら育ってきた1年2組のクラスメイトに支えられているところが大きいのではないかと思ってます。そう考えると、これからもずっと互いに心強い存在であってほしいと願うと同時に、今後の学校生活に不安は消せないところもあります。

☆ 〜1学期の辛かった日々と嬉しい出来事〜
 学校生活にも慣れてきた6月、急性腎炎のため入院となり、1ヶ月余り安静が必要となりました。この時は病気になった辛さと、学校に行けない辛さと両方に心を痛めた親でした。ひろたかはといえば、だんだん体が回復してくると、元気さをもてあまして、退屈そうな様子でした。
 しかし、先生や、クラスメイトの見舞いは、親子ともに元気づけられ、嬉しい時間でした。また、33名の1年2組の仲間のひとりひとりから、励ましのメッセージを届けてもらったことも、嬉しい事のひとつでした。
 そして、もう一つ嬉しい事が------。クラスの保護者の方より、ひろたかの介助の申し出があったことです。
1学期の中ごろ、学級P通信の中で、私達のいろんな思いをクラスの保護者に向けてメッセージできる機会を得ました。その事に対して、素直な感想等をいただいたり、こうして、自分の思いを行動として示してくれる人と出逢う事になりました。

☆  今まで、こうして何とかやってこれた事を思うと、いろんな人のいろんな支えがあったからこそと、感謝の気持ちでいっぱいです。もちろん家族の支えもです。父親の存在、協力がなければ、日常の暮らしさえままならない現実でもあります。
 学校生活の中では、数名の方の付き添い(介助)に支えられての、ひろたかも親も、今の学校生活があります。介助の中味、在り方については悩み多きところであり、大切に考えていかなくてはいけない部分だと考えています。

☆ 地域の小学校へ入学することはできましたが、ひろたかの周りの環境は、決して整っているわけではありません。親として、これでいいのだろうか?といつも不安がつきまとっています。自分自身の未熟さを思うたび、、一人でも多くの人に、この通信を通じて、一緒に考えていただきたいと思っています。
※ 1月16日(日)今日から3月頃まで、毎週日曜日に、ひろたかの学校生活の様子等のことを愛媛新聞で取り上げてくださる事になりました。遅ればせながらお知らせします。
新聞記事

学校生活介助員獲得への道(1)-要望書

 大貴君は2年生になった。入学条件だった親の全面介助にもそろそろ限界がきた。それよりもいつまでも親がついていては本人の為にならない。そこで松前町に対して学校生活介助員制度を実施するように要望書を提出した。

学校生活介助員獲得への道(2)-要綱案

 対応したのは永見学校教育課長、白石町長。松山市が学校生活介助員制度を拡充したこともあり、前向きに検討し、すぐに要綱案が出された。学校現場からも是非にという要求も出されていた。

 しかし、附則の2に下記のような項目があり、今まで全てのことに親が介助してきており、さらに保護者の介助を原則とするという表現には納得できないからこの点を改善するように強く申し入れた。交渉は難航し、結局のところ渡邉さん側は一旦、学校生活介助員制度を蹴っ飛ばした。

2 就学指導等の結果、経過措置として、就学した児童・生徒のうち、著しく学校生活への適応が困難な児童・生徒に対しては、保護者の介助を原則とする。
ただし、緊急の場合についてのみ介助員を配置する

 白石町長も永見課長も前向きであり、保護者の介助を原則という言葉にこだわる渡邉さんの気持ちには共感し、全国で松前町だけがこういう附則をつけることに戸惑いがあったのも事実だ。しかし、内部的事情により今回はこの線で通したい町側と、渡辺さん側で幾度も交渉が重ねられた。

学校生活介助員獲得への道(2)-要綱案の修正

 交渉の末に修正案が出された。とりあえず、この案で9月議会を通して、予算化し、10月に募集をかけて11月から実施という線で固まった。

 以下は渡邉さんからのお手紙。

盛次 様
附則に関して、何とかしなければ、何とかなるのでは?!(削除)と思い続けて、教育委員会と向き合ってきたつもりなのですが、やはり、現実は、そんなに甘くなく、何にも基本的なところは変わらずという状況です。
ヤッタ!と附則の内容が失くなったことをお伝えできるようにと。
そしたら…なんて言ってるうちに、とうとう近況のお伝えが出来ずにきてしまっていました。
色々、力を添えてくださってましたのに、お伝えをせず、申し訳なく思ってもいました。
先程、お話した状況になりましたが、今後とも、子ども達のために、ぜひ、エネルギーを分けていただきたく思います。
同時に、私達大人は、次代を担う子ども達に対して、もっともっと責任を持って人間育てをしないといけないのでは…と自分自身にも問いかけながら!!
とにかく、一区切り終わったかなという思いです。心よりお礼を申し上げます。H12.9.20(水)

この間の交渉についての考察

 正当な理念対実際的に条例を作る上での行政的応対にギャップを感じた。私は附則が出た段階で永見課長からこのような附則は全国で松前町だけだし、不必要であるのは分かっているが通していくためには噛みしめないといけないところだと聞いた。松山市の学校生活介助員制度をお手本に要綱案を作ったわけだが当初附則は無かった。しかし、家族介護が当然じゃないかという声が教育委員会に強いのであろう、通すために永見課長が附則を付け加えたものだ。私はそれが誤っているとは思わない。そう思っているのは教育委員会だけじゃなくて、多くの町民もそうだからだ。むしろ、学校生活介助員制度が定着していく中で、学校に障害児が普通に通学するようになる中で、不要な附則は削除していくものだと考える。いくつになっても、あるいは一生障害者の介助は家族ですべきであると考えが根強く残っている。ノーマライゼーションとは単に制度を作る事ではなく、我々の心の奥深くに残っているこのような差別意識に対峙していくことがもっとも必要だから。

 このあたりを2000年8月25日の朝日新聞から介護保険の訪問介護についての記事を引き合いに出して考えてみた。(以下、全文引用)

見直し主張の亀井氏に聞く
「負担者、納得できぬ」

家事援助サービス論議の口火を切った亀井静香・自民党政調会長に聞いた。
−家事援助のどこに問題があるのでしょう。
「介護保険は(福祉とは違って)所得制限がないから、高額所得者でも利用できる。すると、どういうことになるか。長屋の年金生活のお年寄りが、近所の豪邸に家政婦かなんかが来て部屋掃除や庭の草むしりをしているのを目にする。その(介護保険で負担する)費用のために、年金から二千円か三千円が引かれている。これで納得してもらえるだろうか」「家事援助の問題点は、以前から指摘してきた。厚生省も、極めて限定的なものにするとの返事だった。しかし先月、(訪問介護の中に占める)家事援助の比率を聞いたら、ほぼ半数だという。これは深刻な状況だと思った」
「しかも十月から六十五歳以上の保険料も集める。そんなことで(制度が)もっのか。保険料を払う人の八割が保険の世話にはならない。この八割の人がじっと注視している。その目に耐えうる介護の中身はどうかということで、検討を命じた」
−家事援助は八割の目に耐えられませんか。
「家事援助がいかんと言っているんじゃない。家族が病気などの事情はあるだろう。そんなときは、介護の過程のなかで介護そのものとは言えない分野も若干はやる場合もあるだろう。しかし、家事援助と家政婦の分野と、境界が一緒になってしまっていないか。
家政婦の仕事まで、社会福祉の分野なのだろうか」
−家事援助は身体介護と切り離すことがむずかしい、という声が現場では強いようです。
「事業者の立場の話だ。それで(制度が)もつのかと聞きたい」
−負担者に納得してもらえる家事援助とは。
「使い方を限定しなければならない。(使い方を制限するという)厚生省の通知も、現場では拡張解釈もいいところだ。実効性のある手段が必要だ。いずれ市町村も、その方向にいく。財政の問題もあるが、(保険料を払うだけの)八割の目が大きい」
■厚生省が示した「不適正事例」■
A:「直接、本人の援助」にならない行為
・家族分の洗濯や調理、買い物、布団干し・主として利用者が使う場所以外の掃除・自家用車の洗車や客の応接(お茶や食事)
B:「日常生活の援助」にならない行為
・草むしりや花木の水やり、ペットの世話・大掃除や家具・電気製品の移動、修繕・正月や節句などの手間のかかる調理・窓ガラス磨き、床のワックスがけ・・・ここまで

 家事援助を必要とする高齢者について、亀井氏は家族が援助すべきものであって保険で負担すべきではないと考えている。金持ちが介護保険の家事援助を利用する事を引き合いに出しているが本音は貧乏人が家事援助を利用していることを念頭においているのだろう。大体において超金持ちは介護保険のようなパブリックサービスは利用しない。自分で医師や看護婦や家政婦は雇っている。8割の目を言っているが、その8割の人達はほとんどがやがてサービスを利用することになる。医療の充実を望む医療保険で明らかなように、福祉サービスの充実を望むのが通常である。やがて起こってくる保険財政のひっ迫を考えているわけだが、それも違う。福祉を増やせば、土建業を中心とした公共投資分が減るからと単純に考えているに過ぎない。これは産業の発展の為には福祉の充実が必要という経済界の意向にも反している。結局は遅れた考えに過ぎないということか。

 このように遅れた考え方はどこにでもありふれており、介護保険でも厚生省の当初案より、自民党との折衝でかなり後退したことを考えると、行き着くところは富の再分配への抵抗ではないかと思う。貧乏人や障害者・障害を持つ高齢者に金は回さないぞという単純なものではないのだろうか?

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